山口健児 KENJI YAMAGUCHI

Profile

1965年 千葉県出身
1991年 東京藝術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業
無所属にて、個展、グループ展を中心に活動を続ける
2024年 敗血症性ショックにて逝去 享年58歳

私は子供の頃、絵が得意だったというわけではありませんでした。最初に図工を教えてくれた先生から言われた、「見た通りに描きなさい」という言葉を守って描いた絵が、”子供らしい絵ではない”と言われて途方にくれた、何故という思いからスタートしました。
それから時がたち、高校卒業の時に、絵の学校を受験する交換条件として、公務員試験を受けることを、当時絵の道に進むことを反対していた親と約束しました。その結果、公務員試験の方だけ通って学校が駄目だったので、公務員の道に進むことになりました。一年経った頃、絵に対する思いが消えるどころか反対に強くなっている自分に気がつきました。そして、居ても立ってもいられなくなり、公務員をやめて絵を一生続けて行く道を選びました。そして、現在まで、描くということに対しての求めは続いています。
(西新宿で開いていた水彩・日本画教室のウェブサイトより)

この言葉の通り、最後まで絵を描き、発表し続けて、人生を閉じた。

個展

1993 アートスペースコア (永福)
1994 淡路町画廊 (御茶ノ水)
1996 ギャラリー戸村 (京橋)
2003 「都市・水と空を巡る思索」 OギャラリーUP・S (銀座)
2004

06
「都市・水を巡る思索」 OギャラリーUP・S (銀座)
2004 「都市・水を巡る思索」 bar&lounge nagune (新宿)
2005 「都市・水を巡る思索」 ちばぎんアートギャラリー (日本橋)
2004 「山水考」 ギャラリーなつか (銀座)
AIDEC東京ショールーム (青山)
2008 「innerscape」 Shonandai MY Gallery (六本木)
2009 「瞑想」 K’s Gallery (銀座)
2010 「みずからもりへ」 ギャラリーマーヤ
2011 「かみのむこうに」 ギャラリーなつか (銀座)
2012 「むこうのひかり」 日仏会館 (恵比寿)
2013 「むこうのひかり」 あーとジョイ (雑司ヶ谷)
2014 コピス吉祥寺アートギャラリー (吉祥寺)
「revelation」 ギャラリーなつか (京橋)
2015 「1991−2015」 しろがねギャラリー (三鷹)
2015 「ひかりのむこうへ」 ギャラリーなつか (京橋)
「ひかりのむこうへ」 ヒルトピア アートギャラリー (新宿)
「めをとじて」 Cafe NABE (渋谷)
2017 「めをとじて」 ヒルトピア アートギャラリー (新宿)
2018 「しろがひかりにかわるまで」 ギャラリーなつか (京橋)
「behind the black」 ハイアットリージェンシー東京1F (新宿)
2019 「都市・山水考」 ヒルトピア アートギャラリー (新宿)
2021 山口健児展 ギャラリーなつか (京橋)
山口健児展 Cross View Arts (京橋)
2023 山口健児作品展 2月 (ギャラリーカフェ手紙の木 千葉・東金)

主なグループ展

1996
98
2001
07
グループ展 (世田谷美術館区民ギャラリー)
2006 「様々なニホン画」 (アートスペース羅針盤・京橋)
2007 日本画選抜展HOPE (アートスペース羅針盤・京橋)
福屏風展 (日本町ピースプラザ・San Francisco,U.S.A)
LINE ART 2007 (Gent,Belgium)
2008
09
あおぞらDEアート (泰明小学校・銀座)
2009 [three vestiges of act] (ギャラリーマーヤ・大阪府高槻市)
2009

13
15
未来抽象芸術展 (スペースゼロ・新宿)
2010 art salad展 (SOHO art Gallery・大阪)
Gallery Den (Berlin,Germany)
TRANSNATIONAL ART 2011 (Osaka Contemporary Art Centre・大阪)
2013 Nihonga and Color Sensitivity (在サンフランシスコ日本総領事館San Francisco,U.S.A)
2014 Departure from the Provineces{from-TOYAMA} (Gallery NATSU・夏 富山)
2015 OUVERTURE 未来抽象芸術展選抜作家展 (cafe NABE・初台)
2015

17
真冬のシンフォニー (中和ギャラリー・銀座)
2015
17
20
22
点の解 (横浜市民ギャラリー・横浜)
2016
17
その向こうへ (GALLERY STORKS・青山)
2017 美の精鋭たち (横浜市民ギャラリー・横浜)
2018 美の精鋭たち<an> (蔵まえギャラリー・藤沢)
material (ギャラリー華沙里)
2018
20
白・黒展 (ギャラリー風・銀座)
2018

21
Context (GALLERY STORKS・青山)
2019 細井その子 山口健児 2人展 (ギャラリーオルテール・京橋)
2019
20
Contact (表参道画廊・表参道)
2019
21

23
CORVUS (ギャラリーマルキーズ・名古屋)
2020 点の解 select in NARUSE (ギャラリー成瀬17・町田)
2021 モノクローム展 (ギャラリー志門・銀座)
次第に輪郭は現れ フジタユウコ・山口健児 (ギャラリーなつか・京橋)
美の棲む処 i・act Vol.10 (ギャラリー暁・銀座)
日本画抽象画2人展 賀川明泉 山口健児「二重奏」 (ギャラリー オル・テール・京橋)
2023 that side. this side 山口 健児・手代木 チカ2人展 (+NOTION・銀座)
β−Verger (ギャルリーヴェルジェ・古淵)
abstrait 2023 (かわかみ画廊・青山)
Contact #4 (渋谷ヒカリエ・渋谷)
2023ヴェルジェ展 (ギャルリーヴェルジェ・古淵)

表現の変遷

平面表現の可能性や自身にとってのリアリティを求めてきた山口健児は、水と光をキーワードに、人生で数回、表現を大きく変化させました。「山口健児展 1991-2015 表現の変遷」展(2015年)に寄せて本人が綴ったテキストとともに紹介します。

1991〜1999 コピーコラージュ

描くとはどういうことか、果たして描く必要はあるのか。これらの問いに向き合うなかで生まれたのが「コピーコラージュ」の表現です。これらの作品に見える風景は手で描写したものではなく、自ら撮影した写真を繰り返し拡大コピーした画像です。何度も拡大して画像が粗くなったコピー用紙をパネルにコラージュし、その上から彩色する方法で制作されました。

2つのお茶の水

左:流れる 116.7×91cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠、金箔、銀箔 1992年制作

右:ユリシーズ 91×72.7cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠、中性コピー紙、コピーコラージュ1992年制作

2つのお茶の水

学生時代から描くという事についてよく考えさせられた。学校に入る為にひたすら描写するカリキュラムをこなすなかで、描写ではないところに心のようなものが反映されるのではないかなどと考えるようになった。
学校を出てから、仕事で今のCGの代わりのようなリアルなイラストを描く中で、さらに描くという事について、心と表現の関係について考えさせられた。そして、写真と絵画の違いについても同時に考えるようになった。

「流れる」は、スケッチをもとに描いたもので、「ユリシーズ」は、当時試み始めた、コピーコラージュの手法を使っている。写真を拡大コピーして画面にコラージュした上に日本画の画材で彩色したもの。

この頃、奥行きや明暗、何がそこに描いてあるかということは説明に他ならず、「情感=色彩」という考え方を持っていた。その現れが、この2つのお茶の水の絵を試みるきっかけとなった。

都市という名の自然

病棟の壁に鳥 145×72.5cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠、中性コピー紙、コピーコラージュ 1992年制作

都市という名の自然

野や山が身近にあるところで育った私にとっての自然は、足の下に土があることであり、生きていく場そのものであった。

東京で生活するようになり、足の下が土ではなく、足の下でも人が生活しているという環境に馴染めず、違和感を感じていた。
でも、そんな東京で育った人にとって自ずから(おのずから)然る(しかる)場所とは、都市なのであろうとふと思った。

違和感を感じることは、他の人との差異であったりもする。自分を知る上で必要なことなのだと思った。

思い

高架下1 72.7×91.0cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠、銀箔、金箔、中性コピー紙、コピーコラージュ 1996年制作

思い

テレビで知った阪神の震災と自分の目の前の平安。そのギャップの大きさに、遠い震災が最初は現実のものと思えなかった。
その頃住んでいた東池袋で、毎日駅に向かう為に歩いていた高架下で考えた。
現実と絵について、
そんな時に、高架下のシリーズは生まれた。実際にはこれは六本木の高架下。

2000〜2006 水をめぐる思索

技術が進歩し、拡大コピーを重ねても求めるような粗い像を得られなくなったことから、山口はコピーコラージュを離れます。
そしてコラージュ上の着彩部分だけを画面に載せたような、具象的な像のない作品を描くようになりました。
1990年代後半、山口は支えであった父親を亡くします。悲しみは深く、描いていても心が伴わなくなったと感じ、
ごく少数のグループ展を除いて作品の発表を中止。この中断は7年に及びました。
この間、生まれ育った自然豊かな土地と、自分が暮らしている東京の自然観について考えを深め、水をモチーフにした重い色彩の作品を描いています。個展活動を再開させた2003年以降も引き続き水や都市がテーマとなりました。

水面に映ずるもの

water dance 72.7×53.0cm 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2005年制作

水面に映ずるもの

「川は何でも教えてくれる。」
ヘッセの小説「シッダールタ」のそんな一言から、
私の水を巡る思索は始まった。
何を描いても空ごと、
手を動かせば像はあらわれるが、
実感がもてなかった私は、
「シッダールタ」の
渡し守の老人の発したその言葉に
縋るように、川、池、湖、水路、など
川に限らず様々な水場を巡り、
水面に現れては消えていく
絶えまない像を見つめ、
そこに感じるものを探った。
表面に映ずる像は
絶えず移り変わり不確かなモノだが、
そこに確かに存在する。
水面は様々なものを映じ、
静かに心に波及し浸透する。
みずは表面的なイメージの源泉であるだけでなく、
人の奥底に潜む何かをも呼び起こす
触媒のようなものではないかと、
次第に感じ始めた。
心に浸透した像を、
身体の動きと岩絵具の痕跡的な色彩で、
書の筆蝕のごとく
手探りの実感を重ねて表せていけたら、
さらに深く踏み込めるかもしれない、、
今暫く描き続けて行こう、

−水を巡る思索―

線について

壁をこえて浸透する水 60.6×72.7cm 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2005年制作

線について

昔の武将の書やサイ・トゥオンブリ、ブライス・マーデンの線表現から端を発し、村上華岳の木の線描や横山大観の「或る日の太平洋」のように線によっての表現の理解も影響し、色だけでなく、線それ自体が生命を得たように伸びてゆく自由闊達な線に魅力を感じ始めていたが、6月の個展であった大きな出会いが、その頃山の近くに居を移そうかと思っていた私の生活の場がより都市部へと移るきっかけとなった、同時に身体性をともなうというころもあって、線に対する興味に拍車がかかる事となった。

2006〜2010 山水考〜内なる自然の探索

2006年に子どもが生まれ、多くの色を重ねた作品を描くための時間がとれなくなったことから、余白を生かしたモノクロームのシンプルな作品を描くようになります。それは長く親しんできた禅の精神とも響きあうものであり、日本画の素材の魅力を再発見するきっかけともなりました。

山水考

サンスイシンケイ 72.7×60.6cm 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2007年制作

山水考

技でもなく物でもなく、
まして簡単に
個性と呼べるものでもなく、
そんな表現と言えるかどうか
分からない現れの中に、
私の表すべき
全てのものは存在する。
有るか無いか、
言葉で二分するまでもなく
そこにあるもの、
そんな存在を現代の人は
忘れてしまっているんではなかろうか。
そんな存在のかけらを
室町時代に禅僧、雪舟によって描かれた
「破墨山水図」に垣間見た気がした。
忘れ去ってしまった何かを
取り戻す為に
描き続けなければならない
そんな思いでいっぱいになった。

筆触

テンライヲマツ 45.5×38.0cm 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2007年制作

筆触

一筆により多くを盛り込もうという思いが次第に強くなっていった。

そんな思いの変化は、生活の変化から来たように思う。新たな家族が生まれた事によって、絵に向かう時間があまり取れなくなった事が大きく関わっていた。

絵に向かう時間が取れないのであれば、その短い時間の中で最大限の何かを表せば良いのではないか。絵に向かっていない時の時間を大切にしよう。

絵を思う事を充実させれば、実際に絵に向かった時にその思いを爆発させることが出来るのではないか……そんな事をあの頃は考えていたように思う。

素材の力

ナガレル 33.3×22.0cm 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2008年制作

素材の力

書のごとく、手数を減らして一筆に集中していく。そんな表現を求めた事によって、紙自体が露出する面積が広くなった。

夢中で求めている時は気がつかなかったが、ふと振り返ると、紙が明るく美しいものに思えて来た。
そんななかで、更に紙の持つ明るさを活かし、そして日本画の岩絵具特有の素材感をもっと活かしていけたらと思った。

innerscape

モリノオト 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2008年制作

innerscape

制作はその人の生を表していなければならない。
子供が生まれた一昨年から絵の前にいる時間が減った。
それを機にさまざまな事を考え、
色彩を抑えてシンプルに表す表現を始めた。
それは一筆一筆に緊張を生んだ。
同時に、私のうちなる風景、
そこにすべてを写し取れた時に
私の表そうとすることは終わるだろうと感じた。
だが、私の子どもは
私の育った森をまだ見ていない、
私の体感した海をまだ体験していない。
まだ私自身のうちに
子供に考えてほしいことは沢山ある。
まだまだ私のうちなる風景を
表す試みは終われない。
すべてが一枚にやどるまで
描き続けなければ、そう思った。

2009〜2013 ひかりを求めて Ⅰ

単色の表現を通して岩絵具の魅力に目覚めた山口は、岩絵具や膠の性質を作品に取り入れた制作を試みるようになります。「山水考」のシリーズの余白は何も描いていない和紙そのものですが、これらの作品の白い部分は、絵の具を塗った後、お湯をかけて膠を溶かし、絵具を落としたことで再び現れてきた和紙の表面です。素材に焦点をあてた制作の過程は、さながら理科の実験のようでした。

瞑想

メヲトジテ 116×80cm 雲肌麻紙、岩絵の具、膠 2009年制作

瞑想

注意深く目をそらすこと、
ある尊敬する詩人の口から現れたことばが
頭から離れない。
今まで画面と対峙し見えるものに拘って来たが、
見えるところ以上の何かを表すには、
あえて目を向けず、
注意深く五感を傾け問う必要があるのではないかと
最近より強く感じ始めた。
モノに溢れる今こそ目を閉じて瞑想するように
己のうちなるものと対峙し、
目の前にないものを感じて心にとめて、
霧の向こうの微かな
光の音を聞く。

素材との共同制作

30 second –Cinnabar– 22.7×15.8cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠 2009年制作

素材との共同制作

素材を活かすことに気持ちが進むと、そんな素材の1つとして、膠や水もある事に気がついた。
膠は、絵具を紙の上に定着させる為の接着剤であるが、箪笥やバイオリン等、木で作られたものを接着するのにも使われている。
バイオリン等では、膠の持つお湯で溶ける性質を利用して修理に役立てている。
それをヒントにお湯を使って描くという試みをしてみたくなった。

かみのむこうに

2011年制作かみのむこうに(サンプル) 18.0×11.5cm×7枚 アクリル板、岩絵具、膠、樹脂 2011年制作

かみのむこうに

昔、紙は空であり宇宙であったように思う。
今、私は何を選ぶだろうか?
何を空に、何を宇宙にするのだろうか?
紙から離れて、現れるもの。
私の求めは描くものだろうか?
それとも描くことだろうか?
私はずっと白い紙に対峙して
浮かび来るものを描きとめてきた。
対峙し制作するなかで、
透明な支持体に描いてみたいという欲求が
時々沸き起こり、
それが次第に強くなってきた。
紙から離れて、窓のように透明な板を茫漠と見つめて、
そこに浮かび上がってくるものを描いたら、
そこから何が見えるだろうか?
あるべきようわ、
私の求める答えの一つが
そこに見えてくるのかもしれない。

透明な屏風

「かみのむこうに」展 展示風景 (ギャラリーなつか) 2011年

透明な屏風

最初は、会場にランダムに立て、子どもの頃に憧れた、空に絵を描きたいという思いを叶えるつもりだった。
ところが、アクリル板が家に届いた直後に震災にみまわれた。そして強度を考え屏風にしたてることにした。

むこうのひかり

くものむこうに 72.7×53.0cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠 2012年制作

むこうのひかり

物質で溢れ、
時間に追われる都市での生活。
都市での日々は、
合理化という名のもとに、
言葉にならない何かを忘れさせていく。
自然とともに生きていた頃の私たちがもっていた、
ささやかな感覚に満ちた、
大切な何かを。
言葉にならないそのようなものを、
私たちを取り巻く自然(環境)や、
人の心の奥底から、
再び呼び覚ますこと。
今、私たちには、
それが求められていると考えている。
だから、私は心に留めている。
インパクトやバランス、
真新しさや個性を求めるではなく、
人の心に静かに浸透していく表現を求めること。
そして、岩絵具を膠という接着剤で溶いて
水の中に解放すること。
そんなベーシックでシンプルな、
風土に馴染んだ表現の中から、
消えてしまったものが再び現れる。

絵の中のひかり

ひかりのおと 91.0×72.7cm 雲肌麻紙、岩絵具、膠 2012年制作

絵の中のひかり

画面の向こうに見える光が気になり始めたら、絵画のなかの光の表現についても考えるようになった。
西洋的な表現のなかでは、かなり早くから光と影の織りなす世界が描かれているが、日本ではどうなのか、実際西洋のような光の表現は西洋のものが入ってくるまではなされていなかったように思う。では、日本、或は東洋での光とはなんなのだろうかそんなことも気になるようになって来た。

2014〜2023 ひかりを求めて Ⅱ

クラシックから現代音楽、ヘヴィメタルまで、あらゆる音楽を愛した山口は、学生時代に合唱サークルに所属していた。40代に入って合唱を再開したのち、フォーレの「レクイエム」を歌ったことをきっかけに、作風をより内省的なものとしていった。

天上に差す光

rev.#8 53.0×41.0cm 木製パネル、水干絵具、ピグメント、胡粉、墨、膠 2014年制作

天上に差す光

一昨年、合唱団で
フォーレの「レクイエム」を歌った時のことだ。
指導の先生から
「ここは天上にさす光のような響きをください」と
言われ、みんなで声を合わせ目指した。
練習場で何度も繰り返し練習しているうちに、
響きが少し美しいものに変わってきた。
その瞬間、響きの残る教会の天井に
少し光がさしてきた気がした。
「天上にさす光のような響き」のイメージを
絵で表せたら、
そんな思いが生まれた。
それ以前も、絵を描く上で、
光はいつも注意を払う対象ではあったが、
そのものに目を向けることはなかった。
まずは身近なところからと、
雲の間からさす光や、木漏れ日など
目についた光をみつめた。
それは、あの光ではないように思えた。
それでは、どこに?
もしかしたら私の探し求める光は、
うちにさすものなのかもしれない。
今まで求め表してきた表現から
色彩をなくし、黒地に白で描く方法で模索を始めた。

rev.#12 91.0×72.7cm 2016年制作

視覚は人の五感の中でもとりわけ
大きなウェイトを占める感覚だ。
そんな視覚があろうとなかろうと現実はそこにある。
見えないが、確かにそこにある。
光もそうだ。
視覚の有無に関係なく感じられる光。
ここ数年、私が追っている「天上に差す光」、
あるいは「天上に差す光のような響き」は、
そのような光ではないかと……。

めざすひかり

phenomenon 32.0×82.0cm 雲肌麻紙、水干絵具、ピグメント、胡粉、墨、膠 2014年制作

めざすひかり

それは、単なる光学的な光ではない、そんな思いがある。「天上にさす光のような響き」のイメージは、目にではなく、心にさしてくる光でなくてはならない。
昨年、ギャラリーなつかの個展で、足利市立美術館の篠原誠司氏と対談をした。話の流れで、それまでの私の思考の範疇になかった光のニュアンスがでてきた。
ひかりひかりと光ばかりを頭において私は制作してきたが、実は、そのヒントは、「響き」の方にあるのでは……と。もしかしたら、めざす光は、心に響くひかりかもしれない。